いわびつ座談会 Part2「原風景としての岩櫃」

《Part1、Part2の座談会は、「真田丸」第一話放送前に行われました》

司会

加部さんは、ご自身で「転校生は忍びのつかい」っていう小説を書かれたじゃないですか。あれは岩櫃や忍者から着想を得たんですか?

加部

そうですね。
私たちはこどもの頃に、おばあちゃんから岩櫃の伝説の話を聞かされていたんですよ。
あとはあの、東吾妻町の名産の麻を飛び越えて修行をしたとか。だから普通に、岩櫃とかあの辺は忍者がいたんだよ、っていうふうに、昔話として聞かされてきたんですよね。

司会

麻を飛び越える忍者修行ですか?

富澤

麻、伸びるんが早いからね。

加部

それで、色々伝説があるじゃないですか。岩櫃山から滝の代わりにお米を流す話とか、首を自分で切って投げるとか・・そういう不思議な・・不思議な神秘の山っていうイメージがこどもの頃あって、ただ自分が中学生や高校生になった時に、調べようと思っても、中高生が調べられるような本に載ってないんですよね、そういう話が。
それで、色々岩櫃を調べると必ず富澤さんのサイトに当たるという…(笑)
※あざみの会会長の富澤さんは、個人で「岩櫃城興亡史」という情報サイトを運営している
http://www.denno2488.com/

一同

(笑)

加部

・・すごい勉強させてもらってるんですけど、今はそういうことができても、ちょっと前って・・インターネットの時代じゃないと、なかなかそういう情報がなくて。
昔は、詳しい人がこどもに言い聞かせてくれたんだと思うんですけど、そういう人たちもだんだんいなくなってきて、だから昔おばあちゃんから聞いた話をイメージを膨らませて書いたというところで、「転校生は忍びのつかい」を書いた当時は、実はあまり岩櫃の勉強とかしていなくて、富澤さんのサイトを見て勉強したくらいで、今の方がもっと詳しく書けるのにな、って。

司会

おばあちゃんがこどもに聞かせるっていうのは、わりとどの家庭でもやっていたんですか?

富澤

うちは岩島なんだけど、小学校ん時にね、お昼休みに教頭先生が放送してたよね。
海野長門守幸光(うんのながともかみ)とか。
15分かそこらなんですけど。

一同

へえ~。

富澤

ご飯を食べながらそういう話を聞いた。
麻がらを敷いて・・老齢で昌幸に誅殺された時に、目が悪くなってて目が見えないんで、麻がらを敷いて、その音がする方向を切って17人倒したとかね。
その当時流行ってたんだよね。昭和の中頃(昭和30~40年代)。その頃は町の有志で盛んに活動されていて、本もたくさん出ていた。今は亡くなった脇屋さんなんかもその仲間の最後の方なんだけどね。

群馬県立図書館に「吾妻資料収録」という江戸時代に書き記した古文書を読み下文に直した本があるんだけど、上下二巻。昭和30年頃かな発行は。それが一番載っていた。読み下し文だから、なんとか候とか、そういう文なんだけど。

加部

・・もう少しそのあたりを、今のこどもたちにわかりやすく、何かできるといいなっていうのが、今後の希望ですかね。おばあちゃんから話を聞く中で、「うちの町には忍者がいたんだろうな」って、こども時代は思ってました。
で、案外大きくなってからのほうがなんとなく・・「真田の忍者はフィクションなんでしょう」みたいな、そういうイメージがあって。こどもの頃聞いた話とのギャップを感じていました。

司会

東吾妻町の人にとって、岩櫃山ってやっぱ馴染み深いんですか?

小山

そうですね、遠足とかは岩櫃だったですね。
だけどそこまでね・・馴染むというか・・そこまででもない。

加部

そうそう。
太田とか東とか東吾妻町の東側の人は、来ても原町までじゃないですか。やっぱ岩櫃がきれいなのって、西側の坂上、岩島から見た風景ですよね。
私、坂上の人間なので、原町に通学で来るじゃないですか。その間にすごくきれいに・・大戸の方から来ると見えて、その風景はやっぱ原風景というか、やっぱ特別な山っていうイメージはあります。岩島の方なんかもそうじゃないですかね。

富澤

うちは小学校は矢倉だったんですけど、写生大会はみんな岩櫃ですよ。ええ。
必ず岩櫃山だよね。秋の紅葉がやっぱりいい。

富澤

「真田丸」に出ないこの地域、吾妻の伝説とか伝承、その辺のことも紹介できればね。「吾妻郡略記」には、源頼朝の鷹狩りの話や、万騎峠の話とかね・・万騎峠は万字峠とも呼ばれていて、なんで万字峠って言うかっていうと、頼朝がそこを行く時に行列の中に狐や狸が化けて混じったんで、連れの人間全員の額に卍を書かせたんだよね。
それで峠を越えた時に川で全員顏を洗った。卍を落とすために。あまりに多くの人が顔を洗って川の水が温くなったので、その川を温川という。それで素顔が見えたからあの地域は須賀尾って名がついたって、郡略記には書いてある。

小山

岩櫃山も、頼朝が狩りの際に見て「(ご飯を入れる)お櫃に似ている」って言ったことから名付けられたと言われていますもんね。

加部

色々おもしろい話がありますよね。

司会

「真田丸」効果で、岩櫃に来る人が増えるといいですよね。

小山

この12月の次点でもけっこう人が来てるんですよ。ただの山城でこれだけの人が来ているのはあまり見たことがないって歴史の先生も言うんですよね。その日は天気が良かったからもあるかもしれませんが、大河効果かねって話もしていたんですよ。
岩櫃城跡のパンフレットがあるんですけど、それを今年の5月に2万部作ったんですよ。それ今全然なくて、また今2万追加してるんですけど・・。今までは1万も作れば1年もったんですけど、出ていく量が違います。

司会

加部さんは、物語の作り手として「真田丸」に期待していることはありますか?

加部

いつも子ども向けの、小学校高学年とか中学生向けのものをいつも書いているので、信繁の子ども時代というか、岩櫃で過ごした時期っていうのはすごく興味があるんですよね。だから大河ドラマでどのように岩櫃にいる信繁が描かれるのかっていうのはすごく興味があります。

司会

小山さん、1月10日に開催されるパブリックビューイングについてですが(この座談会は2015年12月に行われた)、やるのは全国でもここ東吾妻町と上田市だけですね。
よく・・出来ましたね(笑)

小山

そうなんです(笑)

司会

それは小山さんの力ですか?(笑)

小山

そんなことはないんですけど、どうしてもうちでやらなきゃダメでしょうって話はしたんですよね。他でもやりたいという声はあったんですけど、取り上げてもらったのが上田とうちでした。すでに応募は締め切ったんですけど、応募では満員。コンベンションホールは400人入るんですけどね・・・。

司会

皆さんありがとうございました。この座談会は、放送開始後ももう一回やりたいと思っています。「真田丸」第一話の放送を楽しみにしつつ、また、よろしくお願いします。
座談会Part3・4は真田丸第1話放映後に行われました。
第1話放映に合わせて東吾妻町で開催されたパブリックビューイングの様子をご覧いただいた上でPart3・4を読むとより一層お楽しみいただけます。
2016年1月10日、真田丸第1話放映時にパブリックビューイングが行われました。
パブリックビューイングの様子はこちらからご覧いただけます