いわびつ座談会 Part1「岩櫃は真田のCIAだった?」

《Part1、Part2の座談会は、「真田丸」第一話放送前に行われました》

司会

今日は集まっていただきありがとうございます。この座談会の目的は、「固っ苦しくなく、真田丸についてワイワイ話そう」というものです。
集まっていただいたのは東吾妻町在住のお三方ですが、「真田丸に詳しい人代表」である東吾妻町役場地域政策課(2016年当時)の小山日出映さん、「岩櫃含め歴史に詳しい人代表」である歴史愛好者団体あざみの会会長(2016年当時)の富澤朗さん、そして「岩櫃山を舞台に忍者修行をする少年たちの物語を小説にし、ジュニア冒険小説大賞を受賞した」小説家の加部鈴子さんです。

さて、いきなりですが・・いよいよ真田丸が始まります。実感としてどうでしょう?
(この座談会は、「真田丸」第一話放送前に行われました)

富澤

「真田丸」は始まるけどさ、岩櫃だけドーンといかないで、例えば東だったら柏原城・・根古屋の湯のあるとこ、あそこで柏原城の攻防があったし、坂上で言えば手子丸城・・岩櫃城の近隣なんかも紹介しながら「真田丸」を盛り上げていけば・・
(突如始まった富澤さんの歴史話!)
・・この辺(岩櫃山のふもとの原町)だけでなく。東地区、坂上地区、まあ岩下地区も岩下城もあるしね、松谷なら雁ヶ沢砦・・横谷氏の。横谷氏ってのは大河の信繁の側近で出浦氏ってのがいるんだけど・・

小山

出浦!出浦昌相の!(いでうらまさすけ。「真田丸」では寺島進さんが演じる)

富澤

・・その人は架空なんだけど。対馬守盛清って人が岩櫃城にいましたよね、最後にまち割りをした人。(まち割り・・1615年、岩櫃城は破却され、人々はふもとの原町に移り住んだ。まち割りとは、土地を整備すること、およびそれによって出来上がった町の形態)

その人と双璧を成すって言われたのが松谷の横谷氏なんですよね。忍者の総領双璧。横谷氏と、出浦氏。その双璧なんだよ、真田家においては。横谷氏はドラマには出ないんだけど、実際末裔の人も上田にいます。直の末裔ですね。

一同

へぇ~。

富澤

だから、岩櫃に限らず町全体として紹介しながらPRしていけば、町の人も盛り上がっていくんじゃないかな、と。手子丸は信繁の兄、信之の初陣の地だし・・

小山

そうですよね。

司会

小山さんは実際、NHKと東吾妻町との間に立つ役割だと思うんですけど、初めは歴史の聞き取り的なことにも立ち会ったんですか?NHKの方のリサーチみたいな。

小山

そうですね。加沢記(沼田藩の祐筆であった加沢平次左衛門によって江戸時代初期につづられた手記。真田三代の歴史の中に利根・吾妻の地侍の興亡をからめた書物)はNHKも持っていたんですけど、吾妻郡略記は持ってなくて、それをコピーして渡して・・ちょうど去年の今ごろですよね。それで実際プロデューサーたちが来たのが2月の終わりくらいだったと思いますね。
それで実際、岩櫃などを回って・・やはりメインは岩櫃でしたね。僕は実は役場の中で、ただの観光だけなんですよ・・本当は。でも上田にしろ沼田にしろ、ちゃんとした設えが出来ているわけですよね、推進室があって。でもうちの町は特にそういうのがなくて。それで、観光と企画がくっついて今、地域政策課になったので、一緒にやってるみたいな感じですかね。

司会

真田丸では、第一話でも二話でも、岩櫃、岩櫃って出てきますよね。

富澤

それは、古谷の潜龍院跡の場所に昌幸が御殿を立てたので、信繁たちが来たっていう話でしょう。でも実際信繁が岩櫃に来たかどうかは・・微妙なんだけどね(笑)

小山

ああ、微妙なとこなんですよね(笑)

富澤

砥石城(上田市にあった山城)にはいたんだけどね。

司会

でも「信繁が幼少期を過ごした」というとキャッチ―ですからね、押したいですよね(笑)

富澤

岩櫃城は巨大で城域は二万平米の広さがある。なんでこんなに巨大な城がここに要だったか、こんな狭いところに・・それは、境界だからなんだよ。

小山

境界・・そうですよね。

富澤

東吾妻町の城址ってのはね、22ありますよ。他の地区と比べるとものすごい多い。なぜかっつーと、北条、上杉との境界だったんだよね、まわり中が。武田が攻めてきて、真田の統治になった時に、まわり中敵で。だから、城好きな人と山で行き交うことがあるんだけども、「吾妻はなんでこんなに城址が多いんですか?」って質問されることもあるね。その辺の攻防が、加沢記とか吾妻郡略記とかにあるからね。抽出して紹介できれば・・歴史好きにとっては興味深いんじゃないかな。

小山

昌幸が上田に行って、出浦が岩櫃の城代になったことがあったじゃないですか。その時に、出浦のように「忍びの頭領」と呼ばれている人が城代になるっていうのは・・・NHKとも話していたんですけど、真田にとってここがいかに重要だったかというですね・・「情報が岩櫃に集まっていたんじゃないか」っていうことなんですね。

富澤

そういうことだよね。

小山

だから真田の頭脳的なところって言うんですかね・・CIAみたいな感じの城だったんじゃないかって。

一同

真田のCIA!

加部

未だにね、岩櫃でなんで忍者なの?とか忍びなの?とか、いなかったんじゃないかっていうのがあるじゃないですか。伊賀みたいに、忍者として有名な場所ではなかったじゃないですか。でも東吾妻町はここ数年「忍び」をアピールしてきているので、忍びというものについてはどうでしょうか?(東吾妻町では2014年より「忍び」をキーワードとしたイベント「岩櫃城忍びの乱」の開催等をしている)

富澤

武田信玄はね、商人とか、御師(おんし)・・御師っていうのは、神社の札を売り歩く人、あとのうのう巫女・・女の人で、それとか修験者(しゅげんじゃ)、ああいうのを全部統合して、諜報組織を作ってるんだよね。情報収集専門のね。それで別名、足長坊主(あしながぼうず)って呼ばれてたんだけどね。

一同

へえ~。

富澤

だから、潜龍院なんかもそうなんだけどね。あと坊さんがね、坊さんが情報収集の・・坊さん仲間で情報が伝わってくるらしいんだよね。だからそういうのを統合するような形でそういう出浦氏みたいなのがいたんだ。

小山

その出浦氏が岩櫃にいたってのがね。だからやっぱり、真田のCIAの町じゃないけど(笑)、そういう戦略の城みたいな、中枢機関だったみたいなことを伝えていければなというとこなんですよね。