歴史観光スポット

観音山・不動滝

奇岩、怪石の山は、修験文化のメッカ

JR群馬原町駅から岩櫃山の東の登山口がある平沢集落へ向かう途中、平沢川越しに御堂がみえる。不動滝を見下ろす瀧峩山不動堂で、この背後の山が瀧峩山(観音山)。ここには百観音の石仏が祀られている。延享4(1747)年に百所(百基)の観音石像が祀られてから観音山になったという。要塞のような山城「岩櫃城」につながる真田道「バンショウ坂」を北側から睨みつけるように座しており、岩櫃城破却によりできた町「原町」を一望する山頂、胎内くぐりや迷路のような洞窟、ヒカリゴケ、ガメラのような岩、マイナスイオンに包まれる不動の滝などを楽しめるほどよいハイキング名所。地元では小さい子供たちの冒険の山である一方、麓にある「不動の滝」脇の不動堂(瀧峩山金剛院)は今から600年以上前に岩櫃城の鬼門(東北)の鎮守として建てられたと伝わっており、以降、江戸時代を通して瀧峩山は吾妻の修験道のメッカとしても繁栄していた。地元の人からは親しみを込めて観音山と呼ばれてる。

観音山・不動滝(象ヶ鼻)観音山・不動滝(胎内窟)

天然の岩窟と石門に、観音像は百体

観音山の天然の岩窟や石門などは、登山道のない西山を含めるとその数は二十を超える。小さい山のそこらじゅうが穴だらけというイメージだ。修験道のメッカであったことも大いにうなづける。観音山には小さいながら二つの峰がある。高い方の「東山」には西国三十三番と板東三十三番、「西山」には秩父三十四番の観音像が全部で百体も安置されているおり、麓の瀧峩山不動尊の堂の裏から、一体あるいは数体ずつ、天然の窟屋や露座で祀られている。像容はシンプルで、坐像は30センチ、立像が45センチほど。いずれも15センチの蓮華座にはめ込まれている。奇岩と仏像をみつけながらのハイキングは十分なほど楽しい。

岩櫃城の支城・柳沢城は必見

しかしこの観音山の魅力は、そうした修験文化だけに留まらない。ここには、真田氏以前に築城された古城「柳沢城」がある。岩櫃城の支城で、小さいながらも独特の築城技術により、別名がかっこいい。その名も「岩鼓の要害」だ。伝説では永禄6(1563)年に真田軍が岩櫃城を陥落させた際、岩櫃城主・斉藤憲広は、この柳沢城にいた嫡子・斉藤越前太郎らが駆けつけたことで討ち死にを逃れ、越後に落ちのびることができたといわれている。それが事実であれば、真田氏以前からも柳沢城は岩櫃城を支える城として格別の機能を持っていたことになる。しかし、真田氏は岩櫃を手に入れるや、この柳沢城にも手を加えていることが見て取れる。真田氏以前の古城と見られる部分には「箱堀」などの古い造りが見られるが、東側に見られる「薬研堀」は真田氏特有の東側からの敵の新入に備えたものと言える。真田氏が古い城をより機能的に設えた痕跡があちらこちらに見ることができる。この柳沢城跡は開発はほぼ入っておらず、当時のまま、土が堆積し、緑に覆われている状態であることから、ハイキングをしながら、当時の山城のイメージをつかむことができる。修験文化を楽しみながら、さらに、戦国の世の守り手、攻め手になったつもりで歩いてみれば、この山の楽しさはさらに膨らむ。

観音山山頂の柳沢城跡

不動滝で自然への畏敬を感じて

そしてなんといっても、観音山に欠かせないのは不動滝。岩だらけの岩櫃山から、よくもこんなに水が流れるものだと関心するほどの水量が箱庭のようにコンパクトな滝壺にドドンと落ちる。3段30メートルの滝で、近くからは再下段の滝しか見えない。滝脇のトレイルを進むと第3石門、ハシゴ、鎖、そして洞窟があり、ちょっとしたスリルを味わいながら滝の上部に行くこともできる。滝が落ち込む滝壺は浅く、裸足になって入っていけば、滝はもう目の前に感じることができる。冷涼な水しぶきを体に浴びて、身を清める。周囲の修験文化と独特の岩石に覆われた滝を仰ぐと、まるで自然への畏敬が全身を包むようだ。